私が思う事(吉野)
体罰問題の賛否
昔と良かったが今はダメな理由
体罰には
1.ある程度の体罰(力による指導)を『教育』と捉える人
2.る程度の体罰(力による指導)であろうと『暴力』と捉える人
体罰が発生するの決まって「自分のルールに従わなかった時」
「あなた」のことを想ってやっているのに、まるで聞き耳を持たなかったり、コチラの想いを踏みにじるような態度で示した時に「あなた」を殴る。
この時、殴られた側は、
殴られた理由があまりにも理不尽だと感じれば、その体罰は「暴力」だと捉え、
殴られた理由に納得ができれば、その体罰は「教育」だと捉えてしまう。
つまり、
体罰を「暴力」と捉えるか、「教育」と捉えるかかは、「殴られた側に納得感があるか否か」。
昔と今の違い
昔と比べて今は「選択肢が圧倒的に増えたから」
例:授業中にスマホを弄ってたら怒られた。
ルールが増えたということ。
昔はスマホがなかったんだから、それで怒られることはなかった。
スマホを弄る理由は?
話がつまらないからもある。
受け手の納得感が薄ければ薄いほど、「教育」ではなく「暴力」と判断されてしまう。
選択肢が増えると同時に、体罰の納得感か落ちるという話。
現代の体罰にアウトが出る理由は、「選択肢が増えたことによって、納得がいかない(暴力と判断される)体罰が増えたから」。
「話を聞かせたい!」「話を聞いた方がコイツの為になるのに!」と考えるのであれば、自分がやらなきゃいけないことは、スマホを取り上げることでもなく、
もちろん体罰でもなく、スマホから発信されている情報よりも「面白い情報を提供する努力」が必要。
スマホを例に上げましたが、「契約を取りたい」「協賛してもらいたい」等も同じこと。