私が思う事(吉野)

2017年10月19日 14:26

今日は、うちの移動支援責任者である金丸正明について書こうと思う。

 

大田リボンプロジェクトに向けて、彼はとても重大な役割を担っている。

移動支援事業所を繋ぎ、ダンス大会に参加する利用者及び職員を見付けるという重大な役割だ。

 

しかし、なかなかうまく行ってないらしい。保守的な人達が多いみたいだ。

声掛けする事業所が大手なのも、原因の1つである。

中小企業同士なら、仕事にも繋がるので乗ってくる事業所は多いだろう。

しかし、大手は仕事も人材も困っていない所が多いので、「形」が出来ておいしければ絡もうと思っている所が多いというのは当たり前の話である。

 

私は出来上がった物に乗るのは面白くないと思っている人間なので、どんなに大変でも最初から関わって1つの作品を作った方が面白いと思うし、深い繋がりも出来ると思う。

例え失敗に終わっても、それは失敗ではない。

何故なら一から携わった人達や企業の人達との絆が出来ているからだ。

 

企業で働いている人の中にも上の許可が下りずに、やりたいことが出来ない人が多いだろう。

経営者として人の動かし方は二つしかない。

「お金」と「遣り甲斐」だ。

 

大手は何故、保守的な人が多いのか?

別の視点で考えてみると・・・

 

「起業家」と「経営者」との違いとも近い。

・起業家→ゼロから1をつくるということ。

・求められる人材は「起業家的センスを持った人」ということになる。

しかし

組織の中からそのような適任者を見出すのは難しい。何しろ組織内に起業家がいないのだから。もしいたら既に退社して起業しているだろう。

 

*よく誤解されることだが、経営者と起業家は求められる要件は決して同一ではない。共通する要素もあるが、異なる要件のほうが多いかもしれない。

何しろ与えられた前提が真逆なのだから。

 

例えば、経営者とは既にある経営資源の配分を現在、そして未来にあわせて最適配分するのが仕事である。

これに対して起業家は、経営資源を配分しようにも持っていない。経営資源は自らつくることになる。

 

・経営者→既にある事業をいかにして守るか、守りを万全にした上で、地道に攻めることになる。

 

経営者が保守的なのは必然である。

 

何故なら

次から次へと腰が軽くあちこちの話に飛びついているようでは、社員からも軽くみられるか不安を与えることにもなる。慎重にどっしり構えることは大事である。

そして、いかに社員の心に火をつけ動いてもらうか、その気にさせるか。

 

一方、起業家はといえば、「攻め」が中心。守るべき失うものはない。頭でっかちに評論家的に構えている場合ではない。自ら率先してあちこちに出向いていく。良い話だけでなはなく悪い話もいくらで潜んでいるなか、リスクをとらなければならない(勿論危なければ真っ先に逃げる逃げ足の速さもいる)。

そうした面倒な仕事一切は、人任せにはできない。自らが先導を切って、数少ない社員に見本を示さなければならない。

 

経営者は必ずしもアイディアマンである必要もない。むしろ沢山のアイディアマンの社員を抱え、状況と各自の能力の最適な組み合わせを考えることが仕事である。

 

起業家は自らがアイディアマンでなければならない。頼れるのは自分である。頭は誰も貸してくれない。

 

決して経営者が楽で起業家が大変、と言いたいのではなく、異なる仕事であるというだけ。

 

経営者であっても起業家としての攻めの姿勢は持っていたいと思う。