私が思う事(吉野)
説教
単独で聞くと?
ウザイし勘弁してくれなんだけど、説教をいかに面白く「エンターテイメント化」出来るか?説教をエンターテイメントに変換したものを「説」という。
説というのは基本的に「おまえら、わからねぇのか?これに決まってるだろ!」という説教をちょっと「聞きやすく」「読みやすく」したもの。
だから、言う人によって納得出来る場合もあるし、言う人によって納得出来ない場合もある→「おまえが言うな」となる。
これが説の面白さ。
なので、どうやって説教を楽しく出来るのか?アップデート出来るのか?を考えた方が良い→雑談。
頭の回転数を上げるのは良いことか?
人前で話をするのに話し手が頭の回転を上げるのは、あまり良くない。
何故か?
聞く側は深く理解しようとして、頭の回転を下げるから。頭の回転を下げて、その分、理解力・読解力を強くして聞くわけ。聞く人の中には回転を上げる人がいる。つまり、「それどういう意味だろ?」「それ違うよ」「ちょっとネットで見てみよう」→これは頭の回転を早くする人。人の話を聞くときに、頭の回転をあんまり早くしてしまうと、自分の雑念や反論が入ってしまってよくわからない。
なので、人と話す時は相手の回転数に合わせるのが良い。
複数人の場合は?
回転数がバラバラ。
どうすれば良いか?
熱を伝える話し方
説教でよくある話
「~なりたい」という人
「なりたい」「なる」と言う人はなれない。
受動系はなれない。
そうではなくて、「したい」「する」という能動系はなれる。
例)
漫画家になりたい→なりたいと言ってるだけ。
漫画を描きたい→漫画を描くしかないから一歩進む。
「なりたい」は現状維持を肯定してて、「したい」はやれよという自分に対しての急かしがある。
受動系と能動系の違い。
なりたいは持ち込まなくてもいいし、デビュー作も描かなくて良い。
「漫画家だ」と宣言したら、描かざる得ない→持ち込むしかない。
「なりたい(受動系)」ではなく「したい(能動系)」と思わないとダメ。
「変えなくてはダメ」
アイドルも同じ。「アイドルになりたい」と言うのではなく、「アイドルです」と言った方が良い。アイドルだと自分で思った瞬間にファンクラブもないしデビュー曲もないし、ファン一人もいない。売れてなくても「アイドルだ」と思った瞬間にファンを一人でもいいから作ろうとするでしょ?
考え方を受動系から能動系に変えることが必要。
この説教をする上で上手な説明をしたのが「雑談」になる。
大人になっての人の生き方
よく「やりたいことがない」という若者、「人生の意味を考える」大人などについて。
人生の意味とは2つだけ。
「やりたいことを見付けてやる」「やりたいことをやってる人を応援するか」の二つしかない。
逆張りもあるが。
やりたいことを見付けないでウダウダする。
やりたいことをやってる人をディスって邪魔をする。
この方法は短期的には楽しいが長期的に見ると?→あまり楽しくない。
なので、
やりたいことを見付けてやるかやりたいことをやってる人を応援するかの方が気が楽。
企業も同じ。大体の企業は創業社長は追い出されている。
だって、応援してる人がその後経営している。やりたいことをやると言うのは、実はそんなに幸せなことではない。
それより、やりたいことを応援してる人の方がその人よりわかってきて運営出来ちゃう場合が多い。
特殊な職業の人(芸術家や芸能人や経営者)
人より稼ぐか人より貧乏か
→これは並みではない。
普通の人の平和はない。普通に働いて給料を貰って積み上げていき決まった休みがある。
人並みのクリスマス、人並みの家族はほぼない。
人より貧乏か人より金持ちかの2択になる。
楽して稼げないないのは当たり前。「覚悟」が大事。頭を磨きよく人を見ること。自分の見せ方、相手を動かすやり方を身に付ける必要がある。努力は甘いものではない。余暇を楽しむ人にそれはない。楽しめるのはやってきた人達、そしてそれを上手くさばける人達。自問自答をし自分がどの道に行くか決めなければならない。
リスクを負う覚悟がありますか?