私が思う事(吉野)
来年のダンス大会に向けて思う事
10/22(日)ハロウィンイベントで、ご利用者様の廣井さんと金丸正明(ダンサー)がダンスの真似事をした。
移動支援責任者である「金丸正明」と言う男は、とても頭のキレる男である。
本日のイベントは「ランタン作り」「お面作り」なのだが、台風の影響でキャンセルが相次いだ為、来年のダンス大会出場者の選定も兼ねて機転を利かせたのである。
見ていて、これは「面白いな!」と。
さすが金丸正明である。
稀に凄い能力を持った人達がいる。
まるでカメラのように、見たものを画像そのものとして覚えることが出来る「カメラアイ」
見たものすべてを記憶でき、自分の生活の中で起こった些細なことでも、ほとんど全て覚える事が出来る「ハイパーサイメシア」
目から入った資格の情報を処理し、空間の全体的なイメージをつかむための機能「視空間認知」
現時点での身体能力、記憶力を測る為、いろいろな動きをし振り付けを一人でやってもらった。
何とほとんどの動きを覚えることができたのだ。
が、荏原高校の生徒達とダンスをするなら、かなりの練習量が必要なわけだが期待が持てることがわかった。
「何事も天才となるには一万時間かかる」というが本当なのか?
考察してみる。
そもそも、一万時間の法則とは
マルコム・グラッドウェル氏が提唱したもの。
誰でも一万時間を費やせば業界のトップに登りつめる事が出来るのかと言うとそうではない。
1日9時間だと3年間。
果たして3年以上同じ事を続けている人は天才になれているのか?
天才と呼ばれる人達と何が違うのか?
同じことを続けても何かのスペシャリスト、天才になれない人は時間の使い方が間違っている。
時間の密度の違い
天才の一万時間には密度の濃さが重要で、そしてそれを続ける強い意志が必要不可欠。
だからこそ人間にはスキルの格差が生まれるわけだ。どれだけ頑張ってもどれだけ働いても報われないのはもっと考えて動くことが出来ないから。
本当に必要なものかの検証も出来なければいつまで経っても成功とは別の方向に進み続けてしまう。
同じ時間を過ごしても違う結果が出るのは、この2つの力をどれだけ使えているかに違いがあると思われる。
だからこそ一万時間頑張れば誰でもトップになれるわけではない。これが一万時間の法則の真実だろう。