つぶやき
これまでの菅原
2017年12月28日 12:03
一年の計は元旦にありという諺があるそうな。何事も最初が肝心、計画的にいきましょうという意味だそうな。もうすぐ元旦ですね。皆さんよいお年を。
私が思う事(吉野)
2017年12月26日 10:39
説教
単独で聞くと?
ウザイし勘弁してくれなんだけど、説教をいかに面白く「エンターテイメント化」出来るか?説教をエンターテイメントに変換したものを「説」という。
説というのは基本的に「おまえら、わからねぇのか?これに決まってるだろ!」という説教をちょっと「聞きやすく」「読みやすく」したもの。
だから、言う人によって納得出来る場合もあるし、言う人によって納得出来ない場合もある→「おまえが言うな」となる。
これが説の面白さ。
なので、どうやって説教を楽しく出来るのか?アップデート出来るのか?を考えた方が良い→雑談。
頭の回転数を上げるのは良いことか?
人前で話をするのに話し手が頭の回転を上げるのは、あまり良くない。
何故か?
聞く側は深く理解しようとして、頭の回転を下げるから。頭の回転を下げて、その分、理解力・読解力を強くして聞くわけ。聞く人の中には回転を上げる人がいる。つまり、「それどういう意味だろ?」「それ違うよ」「ちょっとネットで見てみよう」→これは頭の回転を早くする人。人の話を聞くときに、頭の回転をあんまり早くしてしまうと、自分の雑念や反論が入ってしまってよくわからな
これまでの菅原
2017年12月26日 10:29
案ずるよりも産むが易しという言葉がるそうな。
考えているよりも案外やってみると簡単にできるそうな。
僕も考えてばかりいないで一歩踏み出して挑戦してみようと
思うこの頃です。
これまでの菅原
2017年12月21日 13:30
悪銭身に付かずという諺があるそうな。不正に得たお金はすぐになくなってしまうという事だそうです。真面目にコツコツが一番なのかもしれないと思うこの頃です。
これまでの菅原
2017年12月20日 10:14
迷う者は路(みち)を問わず、溺るる者は遂(あさせ)を問わずという諺があるそうな。道に迷うのは、人に道を尋ねないからで、溺れてしまうのは浅瀬がどこにあるか聞かないからという意味だそう。自分を過信せず謙虚に聞く耳を持ちたいと思う、この頃です。
私が思う事(吉野)
2017年12月19日 10:57
若い頃にやっておいた方がいい事
「若いころに、こういう事をしておいた方がいいよ」というので言えば、意味が無くて、先も無くて、金もかからず、時間ばっかりかかるような事。
友達とのムダ話とかも、そうなんだけど。
そういう手のものは、歳を取れば取るほどまず出来ない。
だから、40歳、50歳までに趣味のサークルとかボランティアとか、何でもいいけども、終わった後の飲み会を最後までガッツリ付き合うというのをやっておいた方がいい。
何故なら、年を取ると勝手に行かなくなるから(笑い)
「何か知らないけど、呼ばれたから飲み会に行ってきた」「つまらない」「ひたすら色々な事をいわれて、辛いだけの時間を過ごした」
そういうモノを腐葉土に(笑)
その自分の中の腐った体験っていうのは、豊かな土壌になって後で花...
これまでの菅原
2017年12月19日 10:10
一日(いちじつ)快活なるは千年に敵(あた)る』という諺があるそうです。一日を愉快に過ごせたなら、それは千年の楽しみにも相当するとか。例え後で無駄だと思う事でもその時はその時で楽しめる人生を送りたいと思うこの頃です。
金丸今日の小言
2017年12月14日 09:51
今いつもの通勤で乗る電車にドキドキする女性が乗ってきた。
動悸がするくらいだ。
恋なのか。
愛なのか。
それとも運命なのか…
普通はこう考えるだろうがどれも違う。
今まで出会って来た人で一番苦手な女性にあった。
好き嫌いは多い方だが、
苦手意識はない方だ。
元々人は好きである。
だがあまり興味がない。
仲間や大事な人以外は正直どうでもいい。
こう書くと冷たいようだけど、
色々意味があるのだ。
それは機会が合った時にまた書くようにする。
本題に戻すことにしよう。
前の仕事場でのメンターだった人なのだが、俺のメンタルを壊すことには長けている。
ただこの人の凄さは表の顔と裏の顔を分けているのだが、表の顔は隙を見せないほど感情を豊かに伝え人に対しては配慮など完璧。
法律等はもちろん詳しいのだが、
人身掌握術は目を見張るものである。
もちろん最初は私も良い人で
この人に教えてもらえるのなんて
幸せ者だなと感じた。
ではなぜこうなったのかというと秘密を知ってしまったからなのだ。
その秘密
今日の児玉
2017年12月13日 09:52
今朝のこと。
中学生の娘が「ママ靴下買って~!くるぶしの長さのがなくなっちゃった。」と。
見ると、ちょうどふくらはぎ半ば位の中途半端な長さの白靴下を履いている。
あ!それは足がめちゃくちゃ太く見える長さ!
正直、足が少し太めの娘の足がさらに…。
これは直ぐにでも買ってあげなくては!!
そして、その日学校から帰ってきた娘が
「今日友達に、その長さの靴下履いてるの珍しいね。短い方が似合うよ。◯◯(娘の名前)はいつも短いイメージだしって言われた。」と…。
女子は気を使うなと思い聞いていると
「でも隣の席の男子に足太いって言われた!」と…。
男子は正直だと思いながら娘に聞いた。
「で、◯◯は何て言ったの?」
すると娘は
「見てんじゃねえ!の一言で終わり。笑」
と…。
確かに…。口は悪いが逞ましく育ってくれて、ありがとう!!
私が思う事(吉野)
2017年12月07日 13:43
体罰問題の賛否
昔と良かったが今はダメな理由
体罰には
1.ある程度の体罰(力による指導)を『教育』と捉える人
2.る程度の体罰(力による指導)であろうと『暴力』と捉える人
体罰が発生するの決まって「自分のルールに従わなかった時」
「あなた」のことを想ってやっているのに、まるで聞き耳を持たなかったり、コチラの想いを踏みにじるような態度で示した時に「あなた」を殴る。
この時、殴られた側は、
殴られた理由があまりにも理不尽だと感じれば、その体罰は「暴力」だと捉え、
殴られた理由に納得ができれば、その体罰は「教育」だと捉えてしまう。
つまり、
体罰を「暴力」と捉えるか、「教育」と捉えるかかは、「殴られた側に納得感があるか否か」。
昔と今の違い
昔と比べて今は「選択肢が圧倒的に増えたから」
例:授業中にスマホを弄ってたら怒られた。
ルールが増えたということ。
昔はスマホがなかったんだから、それで怒られることはなかった。
スマ
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